茶道を表す有名な言葉といえば「一期一会」。
この来歴に意外な人物が登場するのはご存じだろうか?
村田珠光 → 武野紹鷗 → 千利休 と茶道の歴史は流れるが
紹鷗が茶会に招かれたときの心得として、
「一座建立」(主客の心が通い合う茶会になるよう心がけること)
があれば十分だとしたのに対し、後の利休が、
「常の茶の湯なりとも、路地へ入るから立つまで、一期に一度の参会の様に、亭主を執して威づべきとなり。」
いつもの茶の湯でも、一生に一度の茶会と亭主に畏敬の念を持つべき。
と付け加えたことが「山上宗二記」のなかで語られている。
この理念を「一期一会」という四字熟語に編集した人物は…。
なんと幕末の江戸幕府・大老、井伊直弼なのだ。
日米修好通商条約、安政の大獄、桜田門外の変というキーワードとともに、
日本史の教科書では政治家として紹介されるけど、実は風流人だった。
井伊直弼は著書「茶湯一会集」の出だしでこう語る。
「そもそも、茶湯の交会は、一期一会といひて、たとえば幾度おなじ主客交会するとも、今日の会にふたたびかへらざる事を思へば、実に我一世一度の会なり。さるにより、主人は万事に心を配り、いささかもそまつなきよう深切実意をつくし、客にもこの会にまた逢いがたき事をわきまえ、亭主の趣向、何ひとつおろかならぬを感心し、実意をもって交わるべき。これを一期一会という。必々主客ともなおざりには一服をも催すまじきはずの事、すなわち一会集の極意なり。」
利休が客人として「一期に一度の参会」を心得よ、と説いたことに、
主客ともに「一期一会」を心がけなさいと付け加えたのが井伊直弼。
ここに一期一会という茶道の名言が完成する。
何かを失って初めて心に芽ばえる、哀しさや寂しさ、そして恋しさ。
浮かんでは沈む、一期一会の心がけのはかなさを嘆くばかり。
明日も今日と同じ時が流れる、という錯覚の中では、
目の前の出会いに一生に一度の輝きを見出すことはできないのかな。
「逢う人すべて一期一会と思い、心をこめた別れ方をしておきたいと思っています。そう思いはじめてから、いっそう人がなつかしく、恋しく思われるのもありがたいことなのです。」---瀬戸内寂聴「生きることば あなたへ」P17
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