政治は国民を映す鏡/サミュエル・スマイルズ「自助論」

サミュエル・スマイルズの遺した不朽の名著「自助論」。
この中に政治は国民を映す鏡であると指摘したくだりがある。

一国の政治というものは、国民を映し出す鏡にすぎません。政治が国民のレベルより進みすぎている場合には、必ずや国民のレベルまでひきずり下ろされます。反対に、政治のほうが国民より遅れているなら、政治のレベルは徐々に上がっていくでしょう。国がどんな法律や政治をもっているか、そこに国民の質が如実に反映されているさまは、見ていて面白いほどです。これは水が低きにつくような、ごく自然のなりゆきなのです。りっぱな国民にはりっぱな政治、無知で腐敗した国民には腐りはてた政治しかありえないのです。

いい政治家を育てられるかどうかは、私たち国民次第ってこと。
政治なんて興味ない、政治家なんて信用できない…
と選挙を放棄する国民が多い今の日本ならば、もろもろ仕方ない。

でも舛添氏の都知事辞職についてはあんまりだと思った。
辞めるまで許さない!といった雰囲気を新聞・テレビが作り出し、
結果として都民は選挙費用の約50億円を負担させられることになった。

どうでもいい気持ちで選んだ都知事ならば、
詳しい額は知らないけど数百万円くらいの不正ならいいじゃないか。
都知事選が行われることで儲かる人々に都民はハメられたのだろうか?

近年ネットに押されて哀愁ただよう新聞・テレビが存在感を示すため、
アラを見つけた政治家を袋だたきにして自己満足に浸っている。
これでは優秀な人が「政治家になりたい!」って燃えてくれないよ。
さすがにここまでくると、政治の混迷の原因は明白なのでは?

コメント

  1. くちなし より:

    はじめまして
    サミュエル・スマイルズの「自助論」を読んだことはありませんが、同様のことを福沢諭吉が「学問のすゝめ」で説いていましたね。
    『西洋の諺に愚民の上に苛き政府ありとはこの事なり。こは政府の苛きにあらず、愚民の自から招く災なり。愚民の上に苛き政府あれば、良民の上には良き政府あるの 理なり。故に今、我日本国においても此人民ありて此政治あるなり。』
    これを知るまでは政治家はだらしない人が多いなと思っていましたが、だらしない政治家を選んでいるのは国民なんですよね。
    たしかに政治家に対する批判も一理ありますが、
    他人についてどうこう言う前にまずは自分から率先して範をなすべきなのでしょうね。
    『やってみせ 言って聞かせて させてみて 褒めてやらねば 人は動かじ』という山本五十六の言葉が響きます。

  2. まろ@管理人 より:

    スマイルズの「自助論」はイギリスで1858年に、日本では1871年に日本語訳が出版されました。福沢諭吉の「学問のすすめ」は1872年だから影響を受けている部分もあるのかもしれないですね。
    実は政治だけではなく投資の世界でも同じようなことが言え、個人投資家のレベルが向上しない限り、金融機関からぼったくり投資信託が販売され続けるのだろうなと。このあたりは近いうちに書く予定です。

  3. 赤大将 より:

    結局今回の選挙は、あれだけ外交では横暴な中韓への対応、
    国内では税金と福祉関連、さらに原発をどうするかなど
    いつも以上に多くの課題が挙がってましたが、結局低投票率
    で終わりましたね。
    あてになる政治家がいないとは思いますが、この投票率や
    無関心や諦めてる人の多さ、一時的な話題での流されやすさ…
    等、現状の国民のレベルの反映といわれれば納得せざるを
    得ないこの頃。道は長そうですね。

  4. まろ@管理人 より:

    あげられている日本の困ったところ、
    ちょうど以前まとめたことがあります。
    http://www.pixy10.org/archives/605846.html
    ・無関心や諦めてる人の多さ
    →自然災害の多さゆえの無常観(和辻哲郎「風土」)
    ・一時的な話題での流されやすさ
    →極東という地理的条件(内田樹「日本辺境論」)
    実に日本らしい。
    こうした特徴を抱きしめた上で日本はどうあるべきか?
    過去からちょっと遠い未来を見つめたい。
    そんな調子で日本の歴史・文化をしばらく追いかけてみます。