アテンション・プリーズな世の中で

ドイツ人社会学者のEverett C. Hughesは、こんなことを考えてたらしい。
eh_network
どのネットワークにも属さない生き方って可能か?と問われて、うーん。。。
なんとなく思い出す、秋葉原の通り魔事件について、姜尚中氏が語っていたこと。
頼る人も属する組織もなく、誰からも注目されることがなかったから、
自らの存在を誇示しようと、ネットで実況中継しながら犯行に及んだ、みたいな話。

おそらく人の幸福にとって、
何らかのネットワークに属すること
他者から注目されること(このことで自分の存在を認識する?)
の2つがとても重要なのだろう。
たぶん後者の注目されることの方がより重要だと思う。

というのも、動物行動学者の日高敏隆氏は「動物と人間の世界認識」の中で、
リチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」論を

人間は他の動物と同じように自分の遺伝子を残すだけでは満足せず、自分の名とか作品とか、要するに自分の存在したことの証明を後代に残したいと願っていると述べている。それを彼は「遺伝子(gene)だけでなく、ミーム(meme)も残したい」という形で表現している。」(P160)

と解説していることから、
 生きた意味を遺したい! → 私にアテンション・プリーズ!
というのが人間の本能的な欲求なのだと思う。(ブログが普及した理由もこれかな)

ただこれを意識しすぎると、夏目漱石「草枕」の冒頭、
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
みたいな嘆きが出てくるのだろうか?