学者ってむずかしい

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昨日、経済学者の田中秀臣さんのセミナーに参加してみた。
私はそんなに深く経済学を勉強してないので、あまり分からなかったけど、
約100年前の日本の経済学者、河上肇と福田徳三を研究し、対比しながら、
現代の諸問題に応用しようと試みている方のようだった。

たしかにその頃の日本は、日露戦争で国家財政が今より大変なことになってたし、
小林多喜二の「蟹工船」から察すると、今より貧富の差も大きそう。
今よりヒドイ状況下で経済学者はどう考えてたのか?って視点はおもしろいかも。

話を聞いていて、学者ってむずかしいものなんだなぁ、となんとなく思った。
ブレがあったり、2つの主張を合わせたとき矛盾していると、周囲から叩かれる。
そういった場合、精神的に弱い学者は自説に固執しちゃうんだろうな。。。
→関連記事: 相手の意見に敬意を払い、誤りを指摘しない(09/08/02)

私なんかダメだな。あっちへフラフラ、こっちへフラフラ。風まかせに流れてる。
さらには、今回の金融危機の影響(恩恵?)で、今信じられていることだって、
いつかは時代の流れとともに誤りに変わってしまうものさ、と妙な無常観を形成。
変な人。と自分で感じながらも、それが普通なんじゃないかな、とも思う。

モンテーニュ「エセー」より(2巻1章 われわれの好意の移ろいやすさについて)
わたしにとっては、人間の不変性ほど、信じる気になれないものはないし、逆に、その定めのなさほど、信じるのが簡単なものもないのだ。
「さまざまなできごとという風が、その風向きにしたがって私を動かすのだけれど、それだけではなく、このわたし自身が、その姿勢の不安定さによって、自ら動かしたり、揺らしたりしている。そして、もしも人が、自分を注意深く見つめるならば、二度と同じ状態にある自己を見出すことはないのだ。」

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