疑って安全を保つより、信じて裏切られた方が良い

この記事は約2分で読めます。

金融商品と向き合っていると悲しいかな疑い深い性格になってしまう。
だいぶ昔に紹介した「金融広告を読め」(吉本佳生著)で語られているよう、
「とりあえず、騙せる客は、できるだけ騙してぼったくる」ことを経営の基本
としていて、欲望に訴えかけて判断を狂わせるのが、金融機関の仕事なのだ。

最近読んだ「人に好かれる法」(近藤信緒著)の中でも、
(戦後まもない頃50万部売れたベストセラーの復刻版なんだって)
 われわれは「だまされまい」と他人にばかり用心するけれども、
 だまされがっている自分の欲望のほうには無用心である。
(P22)
とある。でも一方で、
 信じる心と疑う心とはまったく相手の心を温めもし、冷やしもする。(P180)
という記述もあり、うーんと考えさせられる。
われわれ投資家が金融機関を初めっから疑ってるから、
どーせ信用されてないんだもんって、ひねくれてしまっているのだろうか?
でも、たった1人だけど信用できる銀行員を知っている。
現にちゃんとした人もいるんだから、たぶん投資家が反省する必要はない。

まぁなんであれ現状、資産運用で考えすぎると疑い深くなってしまう。
普通の人付き合いでも疑い深くなったりしちゃイヤだよねー。
最後にまたまた本の引用でキレイに締めておこう。
一夢庵風流記」と「花の慶次」どっち出てきた言葉か忘れたけれど、
 疑って安全を保つより、信じて裏切られた方が良い。
こんなさわやかに生きたいものだねー。

コメント