いくらあれば十分か?

お金と仕事や幸せに関する、とある日の会話をまとめた2つの記事。

多くの方に読んでいただいたので、最後にオマケでもうひとつ。
これは聞かれてないけど、訳あって勝手に書きたくなった話。
FP(ファイナンシャル・プランナー)と呼ばれる人たちが、
若者は月いくら貯金せよ、老後はいくら必要だ、とかいろいろ言うけど…

結局さ、答えなんか出ないんだよね。

とくに若いうちは、仕事や結婚、何人子供を授かるかなどなど、
偶然に振り回されて、将来的に必要なお金なんてさっぱり分からないし、
もう少し年齢を重ねると、両親の介護なんて問題も出てくるだろうから。
「いくらあれば十分か?」って問いが、無意味である決定的な要因は、

私たちの人生がいつ終わるのか分からない。

実は先週末、うちのばぁちゃんが亡くなってね。
熱中症で入院してすぐ退院する予定だったけど、急に涼しくなったでしょ。
あれで体調崩して肺炎になってあっけなく…、93歳の大往生。
100歳超まで優雅に暮らせるように、お金を準備してあったんだけど。。。
亡くなってはじめて、お金がいくら必要だったか分かったということ。

だから、大事なことは、

いくら貯めたらゴール、という考え方じゃなくて、無理なく続けられる収入をどう確保していくか?

その1つの方法として、配当に注目した株式投資があってもいい。
(この場合は分散投資が重要。東京電力みたいなことあるから。)

私はいつ死ぬのかな。。。
お金のかかる趣味もないから(みんなが思ってるほど外食費は多くない)、
投資で大損でもしない限り、たくさんお金を遺して死んじゃうんだろうな。
縁のない親戚とかに流れるのは微妙だから、ちゃんと考えておかないと。

「会えてよかった」って想いを込めて最期の贈り物。
晩年になって、贈り物を届けたい対象がたくさんで目移りしちゃう…
そんな人生であったなら、幸福な人生だったと言えるのだろう。


☆オマケ:ヘロドトス「歴史」松平千秋訳・上巻P35より

「どれほど富裕な者であろうとも、万事結構ずくめで一生を終える運に恵まれませぬ限り、その日暮らしの者より幸福であるとは決して申せません。腐るほど金があっても不幸な者もおれば、富はなくとも良き運に恵まれる者もまた沢山おります。……体に欠陥もなく、病を知らず、不幸な目にも遭わず、よい子に恵まれ、容姿も美しい…その上更に良い往生が遂げられたならば、その者こそあなたの求めておいでになる人物、幸福な人間と呼ぶに値する人物でございます。人間死ぬまでは、幸運な人とは呼んでも幸福な人と申すのは差し控えねばなりません。

コメント

  1. とんま より:

    まろ様
    納得です!
    私は、たくさんはお金を持っておりませんが、少々の小銭はあります。
    無理なく続けられる収入をいかに確保していくか・・
    大切なテーマだと思います。