何か1つの決断をすると、それと同時に多くの可能性が消えてなくなるもの。
心の中では決まっていても、どこかに迷いが残るのは、失うものが惜しいから。
そんなとき、心のよりどころとして、いつも振り返っているのは、、、
1990年代にマンチェスターUで活躍したエリック・カントナの言葉。
世間では普通と違う人間を異常と呼ぶ。私はそう呼ばれることを誇りに思っている。
次の一手で、完全に普通の人生とおさらば。もう変を貫き通すしかない!
そりゃもちろん、普通に仕事と収入がある人生もうらやましいけど…
→ 関連記事:仕事と幸福(09/09/21)
もしも私が、結婚していたり、彼女がいて結婚を意識する段階にいたら、
こんなにも無軌道な人生を選ばなかっただろうに、と心から反省している。
20代のみなさん、30歳までにちゃんと相手を見つけてね。これ私からの遺言(笑)
まぁ、いずれにせよ、今の流れからして、こっちの方面なんだろうと、
ドラッカーの「非営利組織の経営」を読んでいたら、こんな話に出会った。
私が13歳のとき、宗教の先生が「何によって憶えられたいかね」と聞いた。誰も答えられなかった。すると、「答えられると思って聞いたわけではない。でも50になっても答えられなければ、人生を無駄にしたことになるよ」といった。
・・・・・・
今日でも私は、いつもこの問い、「何によって憶えられたいか」を自らに問いかけている。これは自己刷新を促す問いである。自分自身を若干違う人間として、しかしなりうる人間として見るよう仕向けてくれる問いである。(P219-220)
うーん、なかなかいい話。
社会から世間から、こう憶えられようとか、そんな大きなことを考える気はない。
でも、出会い、別れていく人たちに、自分のことをどんな風に憶えていて欲しいか?
くらいのことは、ちゃんと考えないといけないかな、と深く反省したのだった。
コメント
人からどう思われようと、関係ない私は、自分の生きたいように生きるだけです。
私の知り合いの親戚が70歳で結婚しました^^。
まだ、先は長いですよo(^-^)o
私も基本的には「自分の生きたいように生きるだけ」の「唯我独尊」の人(仏教の本来の意味は違うけど)のはずです。
でもその割に、才能や人柄に惚れてしまったりすると、その人の夢を後押ししてあげたい、私にはできないけどこの人ならと夢を託そう、みたいにポイッと自分のことを捨ててしまったりして…
なんかこう、統一性がないんですよね(笑)