生と死-徒然草93段

「過去に直面した最も大きな試練は何か?」なんて課題レポート書くことになり、
そういう切り口で攻められると訳分からない。あまり辛いとか感じないから。
そんな私の考えと似ている、徒然草第九十三段と出会ってなんか嬉しかった。

吉田兼好「徒然草」第九十三段
 されば、人、死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや。愚かなる人、この楽しびを忘れて、いたづがはしく外の楽しびを求め、この財を忘れて、危く他の財を貪るには、志満つ事なし。

現代語訳は、超・オススメ中の中野孝次「清貧の思想」(P126)からいただくと、
 自分が生きて今存在しているという、これに勝る喜びがあろうか。死を憎むなら、その喜びこそ日々確認し、生を楽しむべきである。なのに愚かなる人々はこの人間の最高の楽しみを楽しまず、この宝を忘れて、財産だの名声だのというはかない宝ばかり求めつづけているから、心から満ち足りるということがないのだ。

戦争とかに巻き込まれず、平和に生きていられるなら、この世は楽園。
別に死ぬ訳じゃないんだから、辛い試練に乗り越える、なんての自分勝手な幻想。
なんて上記のレポート書いたら、またダメ出しくらうのがオチか?
でも、もしもこんなんでもOKなら、思い切って新しいことやってみよう♪

「徒然草」第九十三段の上記の続きは、
 生ける間生を楽しまずして、死に臨みて死を恐れば、この理あるべからず。人皆生を楽しまざるは、死を恐れざる故なり。死を恐れざるにはあらず、死の近き事を忘るるなり。もしまた、生死の相にあづからずといはば、実の理を得たりといふべし。

(生きている間に生を楽しまないでいて、いざ死に際して恐れるのは道理にも合わぬことではないか。人がみなこのように本当に生きてある今を楽しまないのは、死を恐れないからである。いや、死を恐れないのではない、死の近いことを忘れているからに外ならない。)

同系統の名言は、スイス人歴史家・ブルクハルトの
死のない生とは何か? 死がなければ生を重んずる者はないだろう。
かな。

おまけ(怖いかもしれない話)
全身麻酔で手術を受けて集中治療室に運ばれた私は、意識がはっきりしないまま、
左手に窓があって看護婦さんが常に見守ってくれてる個室かな、と思ってたら…。
よく朝スックリ目を覚ましてみると、カーテンで仕切られただけで部屋ではない?!
じゃあ、あの白い服着た人は何?もしかして私を連れてこうとした??(笑)
この話含め、幸運が重なってなんとか生きてるねぇ、って感じだから、
喜怒哀楽でいう「怒」「哀」の存在感があまりない性格ができあがったのでした。