偶然の扱い方/歴史・文化から見る日本のリスク感覚・3

前回の「時の捉え方に引き続いて、今日は「偶然の扱い方」について。
ここは私がいったん投資の話をやめることにした理由のひとつかな。

西洋文化は当初から「偶然」に対して寛容ではなかった。
ギリシア哲学は、世界をミュトス(神話)とロゴス(論理)に切り分けて、
真理は必然的なものにしか宿らない、って姿勢のものだと思う。(たぶん…)
以後、論理や秩序を重んじる姿勢は貫き通され、その延長線上に、
確率・統計といった「偶然を飼い慣らす」ための技術が考案された。
そういえば、庭園が左右対称で直線的なのも、この辺が関係しているかも。

一方で日本文化は、無常感に支えられ、「偶然」に対してとても寛容。
人生なんて偶然の積み重ねにすぎない「はかない」ものだから、って感じ。
また、神社の神様は、たまにしかやってこない来訪神(マレビト)だったり、
たまたま変な形にできあがった茶器を愛でる心を持っていたり…。
瞬間の美学」はもしかすると、偶然を愛でる心から生まれているのかも。

偶然に寛容で、むしろ偶然を愛してきたかのようにも見える日本。
やっぱりこの国には、リスクを切り離して管理する感覚は希薄で、
リスクと同化・共生することが美しい、って文化の国なんだろうな。

西洋文化と日本文化の偶然の扱い方。どっちもどっちだと思うよ。
私は一時期、投資の研究者になりたいな、と思ったことがあって、
ファイナンス理論とか学んでいるうちに、妙に日本にこだわりたくなってね。
去年は3回も京都に足を運んでしまったり、あの勢いはよく分からなかった。
たぶん、偶然を飼い慣らそうとする矛盾に耐えきれなくなったんだと思う。

だから、対極にある日本的な考え方を、自分の中できちんと消化できたら、
また投資の話を再開できるかも。それが何年後かは分からないけど…

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