桜と日本・2

先月初めに「桜と日本」という題で、思うがままに頭の中を編集してみた。
少し気になることがあり、この1ヶ月間、桜に関する書物をいろいろ読んだ。

1. 花見×酒宴はいつからやってるの?

宴がひどく苦手。
親しい友人によると、私が「わび、さびの世界に生きる人だから」のようだ。
わび、さびも日本の伝統なら、酒宴もやはり日本の伝統。
桜の樹の下でお酒を飲む、というのは一体いつごろからかな?と追ってみた。

私がたどり着いた一番古い記述は、「伊勢物語」の第82段。
「世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし」の歌で有名。
桜の下でお酒を飲みながら和歌に興ずる貴族の情景が描かれている。
とはいえ、この時点では貴族社会での楽しみで、一般には広がっていない模様。

転換点はかなり時代を下り、豊臣秀吉が催した「醍醐の花見」(1598)かな。
下層階級から貴族の職である関白や太政大臣へ昇り詰めた秀吉は、
貴族文化と桜のつながりを意識して、盛大な花見の宴を実施したのかも。
ただ、派手にやりずきて、花見に俗っぽさが加わったことで大衆化?
江戸時代に入ると、庶民の娯楽として花見×酒宴は一般的になっている。

2. 西行が変えた?日本の桜観。

散りゆく桜に世の無常を感じて和歌に詠う。
前回紹介した百人一首の桜の歌にも、どことなくそんな雰囲気が感じられるけど、
あれ待てよ。無常観って鎌倉時代以降に出てきた考えじゃなかったっけ?
平安貴族たちは、わぁーきれい♪って純粋な喜びを歌にしていたのでは?

大量に桜の歌を詠んだ西行の登場で、桜観が変わったんじゃないかな。
「保元、平治、治承、寿永の武門の争乱の中を生きて時代に滅ぶ人間を見た彼には、さくらは唯美の彼岸に咲く花であった。彼はあらゆる現実を超克して、いっしん花に同化することだけを願った。」---小川和佑「桜の文学史」P93

とりあえずここまで。毎年4月は桜について考えてみたい。