美の崇拝が日本の宗教/オフチンニコフ「一枝の桜」

日本人は桜のごとく純粋で一途なのだ!と書いたら、友だちが薦めてくれた本。
著者は政治記者として1962~68年に東京で活動した旧ソビエト人。

明治時代、外国人から「宗教教育なしにどうやって道徳教えるの?」と問われ、
新渡戸稲造がその答えとして記したのが「武士道」であることは有名。

同じ問いにオフチンニコフは「美の崇拝が日本人の国民的宗教」と答え、
日本人の美の尺度として「さびわびしぶい幽玄」の4つをあげている。

わび、さび、しぶいという概念は、すべての対象と現象を、心を持った存在としてながめるという能力から起こっている。」P81

やっぱり日本の特徴なのかな。心どころか、いろんなものに神を宿してしまう。
たぶん一神教の国の人から見ると、なんじゃこりゃ?って思うだろうね。
私自身、日本に住む外国人から「神様っていると思う?信じる?」と聞かれて、
「ひとりひとりの優しい気持ちや人を思いやる心そのものが神様だと思うから、信じる、信じないとかそういう話じゃないんだと思うんだけど。」
と答えて、なんじゃコイツは?と首をひねられた経験がある。

日本列島の自然に内在するところの、予知し得ない自然の災害の絶え間ない脅威は、この民族に環境の変化に対してきわめて敏感な心を形づくった。仏教は、この世の無常というその愛好する主題を、それに付け加えた。このふたつの前提条件は、ひとつになって、日本の芸術を無常の謳歌へとみちびいたのである。
 時間の経過にともなう変化を喜び、あるいは、それを悲しむ心は、すべての民族が生まれながらにもっている。しかし、永遠に続かないことのなかに美の源泉をあえて見たのは、おそらく日本人だけであろう。日本人が、ほかならぬ桜の花を国花に選んだのは偶然のことではない。」P82

無常観っていうのが、日本にとってかなり重要なキーワードで、
もともと自然災害の多い土地柄って影響もあって、何か不幸にあったとき、
しかたないね、せつないね、そういうものだよね、となんとなく受け入れてしまう。
そして、和歌に悲しみを織り込んでみたり、お茶をたてて心を落ち着けようとする。
打たれ強いのか、打たれ弱いのか、謎な部分の根っこに無常観がたぶんある。

失われた20年と呼ばれる期間の日本は、ある意味じつに日本らしいような。
こんな日本にどんなメッセージが必要か? おそらく「たちあがれ」ではない。