効率性への不感症は日本の伝統?/ツュンベリー「江戸参府随行記」

師匠が大雪の日の混乱について書いたコラムを読み、
私もこの痛ましいほどの出勤意欲を不思議に思っていた。

なんとか出勤しても疲れて仕事にならないだろうに、
ボロボロになってでも会社に辿り着くことが美しい!
といった美学を社会全体で賛美しているかのような。

ふと思い出したのが江戸時代の外国人の証言。
1776年に来日した植物学者ツュンベリーが、
日本の田畑の風景についてこんな記録を残している。

私はほとんど種まきを終えていた耕地に一本の雑草すら見つけることができなかった。それはどの地方でも同様であった。このありさまでは、旅人は日本には雑草は生えないのだと想像してしまうであろう。しかし実際は、最も炯眼な植物学者ですら、よく耕作された畑に未知の草類をを見いだせないほどに、農夫がすべての雑草を入念に摘み取っているのである。
---ツュンベリー「江戸参府随行記」より

雑草をきれいに摘み取った田畑はたしかに美しい。
でも少しくらい手を抜いても収穫量は変わらないのでは?

現代の大雪の出勤と江戸時代の田畑の雑草駆除は、
どちらも経済効率性への不感症という点で同じと言える。
よく指摘される日本のこの欠点はこんな時代から…。

細部へのこだわりが美しさを生み出す一方で、
全体を俯瞰するとなんだかおかしなことになっている。
それが私たちの日本人の古くからの特徴かもしれない。