プラトンの神遊び/ホイジンガ「ホモ・ルーデンス」

ホイジンガ「ホモ・ルーデンス」に触れた記事が最近人気。

ウェブ上にこの本について言及したページが少ないからみたい。
今まで書いた2つの記事は好き勝手に編集したものなので、
ちゃんとホイジンガの主張の大事なところを紹介しておこう。

「ホモ・ルーデンス」を日本語にすると「遊ぶ人」。

人間文化は遊びのなかにおいて、遊びとして発生し、展開してきたのだ。」P12

人間の本質や存在意義を「遊び」に見出した名著とされるが、
その着想のきっかけになったのはプラトン「法律」の一節のようだ。

人間はただ神の遊びの玩具になるように、というので創られたのです。これこそが人間の最良の部分ですね。

ホイジンガは第1章の展開部、末尾の結論部で2度引用。
そして第1章ではこんな解釈をつけている。

プラトンの遊びと神聖なるものとの同一化は、神聖なものを遊びと呼ぶことで冒とくしているのではない。その反対である。彼は、遊びという概念を、精神の最高の境地に引きあげることによって、それを高めている。われわれはこの本の初めの箇所で、遊びはすべての文化に先行して存在していた、と述べた。・・・人間は子どものうちは楽しみのために遊び、真面目な人生の中に立てば、休養、レクリエーションのために遊ぶ。しかし、それよりもっと高いところで遊ぶこともできるのだ。それが、美と神聖の遊びである。」(P55)

神の玩具ゆえに人間の基本的な行為として「遊び」があり、
これを表現をするための行為として信仰や祝祭が行われる。
そして聖なる儀礼がやがて文化へと発展していくという話。

そういえば日本の美意識の根底にも神遊びがあるのかも。
日本人にとって神様は時々やって来る「客なる神」。
だから日本では客を招くための独特な作法が発達したのでは?
茶道の一座建立、一期一会、一客一亭の精神にも見え隠れする。

「聖」と「遊」の融合からこの世界を読み解いたところが、
「ホモ・ルーデンス」が名著と呼ばれるゆえんなのだろう。