菅原道真の梅は飛び、桜は飛ばず?

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和歌に詠われる春の花が梅から桜へ移る頃に、

梅を愛した菅原道真が政争に敗れ、都落ちをする。

屋敷内の梅の木との別れを惜しんで詠んだ歌は、

後に主人を慕って梅の木が太宰府まで飛んでくる!

という飛梅伝説とともに超・有名。

東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 

主なしとて 春を忘るな

最近気が付いたことだけど、

道真は桜の木にも別れの歌を詠んでいた。

桜花 主を忘れぬ ものならば 

吹き来む風に 言づてはせよ

花を擬人化して別れを惜しむ型は梅の和歌とほぼ同じ。

道真が梅と同じくらい桜も愛したことが読み取れる。

単に桜が飛ばなかったから、和歌も忘れられがちなのだろうか。

政敵、藤原時平との対比から道真の梅のイメージになったのかも。

藤原道長が栄華を極めるまでの藤原氏を描いた「大鏡」で、

時平はこう評されている。

かくあさましき悪事を申し行ひ給へりし罪により、この大臣の御末はおはせぬなり。さるは、大和魂などは、いみじくおはしましたるものを。

悪事(道真の左遷)による祟りで時平の子孫は途絶える。

大和魂はすぐれた人物だったのに…。

「漢」の道真と「和」の時平という対比から、

中国から渡来した「梅」と日本に自生する「桜」

という連想で道真と言えば「梅」となったのかも。

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