模倣と創造のあいだ。藤原定家の本歌取り。

創造は模倣から生まれるものだ。
でもどこまでが模倣で、どこからが創造なのか?

歴史・文化に答えを求めれば、
和歌の世界に「本歌取り」と呼ばれる技法がある。
百人一首の選者、藤原定家が得意としていた、
過去の名歌(本歌)の表現を用いて新たな歌を詠む方法だ。

たとえば百人一首にも収録される柿本人麻呂の

あしひきの 山鳥の尾の しだり尾の
ながながし夜を ひとりかも寝む

という過去の和歌を元に藤原定家が詠んだ和歌。

ひとり寝る 山鳥の尾の しだり尾に
霜おきまよふ 床の月影

過去の名歌に「月」を加えることで、
本歌に隠されていた美を掘り起こすような効果もある。

ただ本歌取りが流行った時期は、
過去の歌を並び替えただけの単なる模倣も横行したようで、
定家は「詠歌大概」の中でそのルールを説いている。
ざっと箇条書きにまとめると、

  1. 最近七、八十年に詠まれた和歌からは一句たりとも取ってはダメ。
  2. 五句のうち三句を取ったらアウト。二句プラス三、四文字が限度。
  3. 上句の五七、七五、下句の七七をそのまま使うのはダメ。
  4. 本歌の趣向の中心部を取り、本歌取りであることがわかるように。
  5. 本歌と主題を変える。(例;四季の歌を恋の歌に変える)

現代にも応用できるのは1番目と5番目だろうか。

  • 最近の作品を模倣したところで創造に届かない。
  • 一見すると無関係の分野の作品を模倣すると創造に結びつく。

ちなみに世間を賑わした東京五輪のエンブレム。
定家の方法論に基づけば、やっぱり単なる模倣だね。

※参考文献…渡部康明「和歌とを何か」岩波新書