白楽天は晩年の詩がいい!

中国唐代の詩人、白楽天の「中隠」が大好き。
玄宗と楊貴妃を詠った「長恨歌」が有名だけど、
50代後半以降に詠んだ漢詩の方が味わい深い。
今日は目にとまったものを3つほど。

五十年来思慮熟
忙人應未勝閑人
林園傲逸真成貴
衣食単疏不是貧
専掌図書無過地
遍尋山水自由身
儻年七十猶強健
尚徳閑行十五春

五十年来の思慮熟す
忙人まさに未だ閑人に勝らざるべし
林園に傲逸なるは真に貴となし
衣食の単疏なるはこれ貧ならず
専ら図書をつかさどる無過の地
あまねく山水を尋ねる自由の身
もし年七十にしてなお強健ならば
なお閑行すること十五春を得ん

50年来の考えがまとまり、閑は多忙にまさると悟る。
自然美を堪能できる自由のある人生こそが素晴らしい。
70歳まで丈夫だったら、春を楽しめるのはあと15回だ。
といった内容の漢詩。

末尾から55歳の時に詠んだ漢詩と分かる。
長年の考えがまとまり、忙しくしているよりも、
閑(ひま・しずか)に生きることが至高の人生であると。

同じ頃詠んだ詩にはこんなものもある。

三十四十五欲牽
七十八十百病纏
五十六十却不悪
恬淡清淨心安然
已過愛貪声利後
猶在病羸昏耄前
未無筋力尋山水
尚有心情聴管弦
閑開新酒嘗数盞
酔憶旧詩吟一篇
敦詩夢得且相勧
不用嫌他耳順年

三十四十は五欲に牽かれ
七十八十は百病に纏わる
五十六十はかえって悪しからず
恬淡清淨として心安然たり
すでに声利を愛貪するに過ぎて後
なお病羸昏耄の前に在り
未だ筋力の山水を尋ぬる無きにあらず
なお心情の管弦を聴くあり
閑かに新酒を開きて数盞を嘗め
酔いて旧詩を憶い一篇を吟ず
敦詩 夢得 しばらく相い勧む
他の耳順の年を嫌ふを用いずと

3,40代は欲に、7,80代は病にふりまわされる。
だから5,60代は人生を楽しむ時期と言える。
名誉利益の執着はなくなったが、まだまだ健康で、
自然や音楽に触れる気力も残っているから。
孔子は論語の中で(六十にして耳順がう) 、
60歳でありのままを受けいられるようになる
と言ったように老いることは悪くないよ。
と周囲に諭した漢詩。

いい具合に力が抜けた感じが好き。
コネなしに科挙を突破し、誰もが憧れた人物の晩年。
名利にしがみつかない潔さが素晴らしい。
最後にその日常を詠った詩を紹介しよう。

臥風北窓下
坐月南池頭
脳涼脱烏帽
足熱濯清流
慵発昼高枕
興来夜浮舟
何乃有余適
祇縁無過求

風に臥す北窓の下
月に坐す南地のほとり
脳涼しくして烏帽を脱ぎ
足熱して清流に洗う
慵発して昼枕を高くし
興来たりて夜舟を浮かぶ
何ぞすなわち余適あらん
ただ過求無きによる

北風に喜びを感じ、南側に座って月を仰ぐ。
寝たいときに寝て、起きたいときに起きる。
過分な欲を持たなければ、楽しみはいくらでもある。

ふと思い出したのが前田慶次「無苦庵記」の末尾。
戦国時代末期を自由奔放に生きた慶次の晩年もまた、
白楽天と似たような境地だったということか。

コメント

  1. KAPPA より:

    いいですね。
    私も、「人生を楽しむ時期」です。
    しかし、50代でも経済的理由で、日々の生活で精一杯で、この境地に達していない人たちのことを思うと、複雑な気持ちがしないでもないです。

  2. まろ@管理人 より:

    私は30代後半なので、今からココを意識すれば、なんとかなりそうな気がしています。
    早めに気が付けてよかったです。