地政学的要衝としての日田(大分)

江戸時代の幕府直轄領(天領)を眺めていて、
その多くは経済的な重要な地域としてピンとくるけど、
ここはなんでだ?と思ったのが大分の日田
九州の内陸にあって特別、鉱山があるわけでもない。
調べてみると古代より交通の要衝だったようだ。

中国からの文物受け入れ地点は福岡の太宰府。
そこから都への最短ルートは、
「大宰府→小倉→門司→瀬戸内海」
だが関門海峡は潮流が厳しく、海賊の出没する地だった。

だから宇佐または鶴崎(大分)から瀬戸内海へ出るため、
陸路の中継地点として日田が重要とされてきた。
時代が下りオランダとの貿易窓口が長崎となってからも、
その中継地としての役割は変わらなかったという。

また島原の乱(1637)以後は日田の代官所は、
九州の藩を統括する役割を担うほどの権限を持つように。

そんな地政学的要衝としての日田で、
日田金と呼ばれる莫大な富を手にした御用商人がいた。
その事業をザックリまとめると、

  • 天領から上がる貢納米の仲介を独占。
  • 代官所へ納付する公金は1年後という利点を生かし、
  • 九州の諸大名向けに貸金業をはじめる。
  • 金利は月利1.0~1.5%。
  • 融資の源泉が公金ゆえに返済率は100%。

公金は1年間無利子で預かっていて回収率は100%!
こんなにうまい儲け話があっていいのか?

この商人達はさぞかし私腹を肥やしたろうと思うけど、
御用商人、八家のなかに広瀬家(博多屋)からは、
広瀬淡窓(1782~1856年)が生まれている。

広瀬淡窓は日本最大級の私塾「咸宜園」を開いた人物。
年齢や身分を問わず、約数千人の門下生を受け入れた。

日本人はお金儲けは「悪」と捉えがちだけど、
豊かだからこそ、こうした分野に目を向けられる余裕。
そういえば現在、私たちが美術観賞ができるのは、
明治・大正時代の成金実業家が収集してくれたおかげ。

たとえば日本には仕事の報酬は働きがいそのもの
という考え方があって、金儲け主義が嫌われる。

でも哲学者気取りでお金から目を背けていたら、
知らず知らずのうちに失ってしまうものも多いだろうね。
話が脱線してきたので、とりあえずこのへんでおしまい。