読書とは終わりなき放浪の旅/モンテーニュ「エセー」

かなりの勢いで本の処分を進めているなかで、
多分野に渡り、ずいぶんと本を読んできたけど、
結局、何も分からないことが分かった!
という現状にちょっぴり寂しさを感じる。

まぁ私の分かりたいものが「未来」だったから、
こういう結論以外は出ないのだろうけど。

それでもなお、この調子で読書を続けよう。
そう思い直させてくれる一節が、
モンテーニュエセー」にのなかにある。

なにごとにつけ、わたしには全体などは見えはしないのだ。全部お見せしましょうなどと、われわれに約束する連中にしてもそんなはずはない。それぞれの事物が有する百の手足や顔のうちから、ひとつだけを手にして、ただなめたり、軽くさわったり、たまには、骨に届くまでぐっとつかんだりする。それも、できるだけ広くということではなくて、できるだけ深く突いてみるのだ。それもたいていは、当てたことのない光によって、そうした部分や表情を捉えてみることが好きなのだ。」(デモクリトスとヘラクレイトスについて)

矛盾と不連続に満ちたこの世界では、
ものごとのほんの一部しか理解することはできない。

一番良い例が「ハイゼンベルクの不確定性原理」。
二つの値の関係性を測定しようとしたとき、
一方の値をはっきりさせればさせるほど、
他方はそれに反比例して不確実性を増していく。

世の中のすべてを理解することができないのなら、
その時々の興味に応じて、いろんな分野に没頭してみる。
そうしているうちに人とは違う視点で物事を捉えられたら…
読書とは終わりのない放浪の旅みたいなものだろうか。