「腹を括る」ということ/本日のスープ56皿目

リレー連載企画「本日のスープ~株式投資をめぐる三重奏~」。
m@さんからのご寄稿コラムです。


前回、55皿目「支援し合う」関係に、”ゆっくり、いそげ”でrennyさんが投資家と会社が支援し合う関係になると株式市場や世の中が変わるのではないかと書かれました。

株式投資とはちょっと違いますが、マイクロ投資などソーシャルな投資をしている個人投資家としてメディアから取材を受ける時、「損をするかもしれないのにどうして投資できるんですか?」と聞かれることがあります。

「損をするかもしれないけど、やってみないとわからないし、何より成功して欲しいからそこに自分のお金を使って欲しいんです。場合によってはある程度の損は見込んだ上で投資しています。」と答えると、ある程度の損を見込むというところから「寄付みたいなものですか?」と聞かれます。

「ある意味寄付みたいなところもありますね」と答えた上で損を許容しているだけで、損をしてもいいと全面的に認めているわけではないという話をするのですが、その辺の微妙なニュアンスがなかなかうまく伝わりません。(私の伝え方の問題なのですが)

寄付みたいと理解されて「素晴らしいですね」なんて言われるのですが、成功して欲しいから投資をしているのであって、失敗して結果的に寄付になる事を前提にしているわけではないんです。あくまでも失敗しても自分が被るよと投資したお金について腹を括っているだけなんですよね。

この辺りは上場している会社だったら会社が財務的に傾いてきたら株を売って逃げようかということにつながるのでしょうが、マイクロ投資は途中解約が出来ないので投資する時にそこは腹を括るしかないんですね。でも、そこまでやっているからこそ会社の方も投資家にありがたいと感じるんだと思います。

上場株式ともなるとなかなかそこまでの距離感は出せないと思うのですが、投資信託を通じてまとまった形になると近いものは出来るのではないかと思いますし、株式型クラウドファンディングが始まるとひょっとしたらそういう事も出来るのかもしれません。

金融ってリスクは基本的に回避する方向へ向かいがちですが、そこをあえて腹を括って共に歩むことで生まれる信頼関係というのも一つの投資の形としてアリなのではないかと想いながら投資をしています。この辺りは個別株投資をしている人から見てどう感じるでしょうか?