東山魁夷「風景は心の鏡」

絵画は水墨画以外はあまりピンとこないけど、
東山魁夷の淡い色づかいの風景画は好き。
こんな絵↓(Google画像検索より)

東山魁夷

そんな東山魁夷の風景論をエッセイ集の中に見つけた。
講談社学術文庫の「日本の美を求めて」より。

風景とは何であろうか。私たちが風景を認識するのは、個々の目を通して心に感知することであるから、厳密な意味では、誰にも同じ風景は存在しないとも言える。ただ、人間同士の心は互いに通じ合えるものである以上、私の風景は私たちの風景となる得る。私は画家であり、風景を心に深く感得するのには、どこまでも私自身の風景観を掘り下げるより道はないのである。

自分をとことん掘り下げて、光る何かを見つけて戻ってくる。
感動や共感、創造は、自分の外側ではなく内側から生まれる。

私は人間的な感動が基底になくて、風景を美しいと見ることはありえないと信じている。風景は、いわば人間の心の祈りである。私は清澄な風景を描きたいと思っている。汚染され、荒らされた風景が、人間の心の救いでありえるはずがない。風景は心の鏡である。庭はその家に住む人の心を最も良く表すものであり、山林にも田園にもそこに住む人々の心が映し出されている。河も海も同じである。その国の風景はその国民の心を象徴すると言えよう。

人の心の内側がそのまま風景に反映される。

そういえば日本の中でも地域によって、
美意識が2通りに分かれているようで、

  • 古いものは新しく作り直すのが美しい
  • 古いものは古いまま遺すのが美しい

とくに文化財の保護で、その美意識の違いが現れている。
私は後者の美意識に基づいた風景が好きだけど、
前者は遷宮的な発想で、こちらの方が日本的とも言える。
この違いはどこから来ているのだろう???