しだれ桜は神の通り道/柳田国男「信濃桜の話」

柳田国男「信濃桜の話」にこんな一節がある。

十年ほど前に世に出した信州随筆という本の中に、私はしだれ桜の大きなのが信州に多いということを書いた。しかしそれから気を付けて見ると、それは決してここだけには限らず、少なくとも京都から東では諸処方々に老木のしだれがあり、そのありかも神社仏閣、その他霊地といってよいような場所が多いことは、信州とあまりかわりがない。たとへば近頃読んで見た駿国雑志でも、静岡附近には名木の糸桜がある寺院が幾つもあり、江戸でも上野の護国院、芝の増上寺を始めとし、大きなしだれ桜のあったという寺が、六七ヶ所も列挙せられていた。

そういえば神社仏閣でシダレザクラに出会うことが多い。
そしてソメイヨシノよりも怪しい魅力がある。
柳田はこんな仮説を立てている。

私の一つの仮定は、神霊が樹に依ること、大空を行くものが地上に降り来らんとするには、特に枝の垂れたる樹を選ぶであろうと想像するのが、もとは普通であったかといふことである。

一節によると桜の語源は、

  • 「さ」は稲の精霊
  • 「くら」は神が座する場所

とされ、
春の訪れとともに、穀物の精霊が舞い降りる場所が桜。
また神は虹のような橋を渡ってやってくると考えられていた。

桜の舞い降りた神が垂れた枝という橋を渡って地上へ。
なるほどシダレザクラは特別な桜なのかもしれない。