「辻留」辻義一が語る魯山人の美食

近く赤坂の「辻留」へご飯食べに行くので、
ご主人の辻義一氏の著書を読みあさっている。

20代の頃、北大路魯山人のもとで修行をしていて、
そのとき心に響いたという魯山人の言葉が興味深い。
※「魯山人と辻留 器にこだわる」より

  • 芸術というものは、天性のものを備えた人間がさらに努力することによって生まれるものだ。
  • 旨い、まずいを口にするのはさも贅沢を言っているようだが、決してそうではない。それよりも素材をつまらなくして損していることに気づかない、愚かな人が多い。

多くの場合、正論には、
「それは言わないお約束」
みたいな変な暗黙の了解がついてまわる。
そしてそれが本物を追求する人々の妨げとなる。

  • 砂糖は劣食品を瞞着する秘密を持っている。

瞞着(まんちゃく)とは、ごまかすこと。
砂糖や油が多めの料理は、
貧しかった時代に見栄を張るのが主たる目的で、
本物の美味を追求する上では必要のないものだよね。

ちなみに魯山人はすき焼きにも砂糖を入れず、
少量のみりんを使うのみで特殊な食べ方をしたのだとか。

「魯山人式すき焼きは、まず鍋に牛の脂をなぞってよく油を出して、霜降りの牛肉を焼き、すぐ酒を入れ、味醂極少、醤油で味をつけてまず肉をきれいに食べおえてから、次は少しだし汁を足して、ねぎ、春菊、とうふ、椎茸などを入れて味を付けて、これもきれいにかたづけて、次はまた、肉を入れての繰り返しです。玉子をつけて上がる時もありましたが、大根おろしをつけたり、つけなかったりです。」(魯山人・器と料理)

なるほど肉も野菜も美味しく食べようとするとこうだよね。
魯山人から見れば普通のすき焼きは「ごちゃ鍋」だ。

  • 宴会的な飾り物ではなく、身につく食事、うすっぺらなこしらえものでなく、魂のこもった料理、人間一心の親切からなる料理、人間をつくる料理でなければならないと思うのである。料理も芸術であると私が言い続けている理由も、実はここに存するのである。
  • 日常料理はつねに自分の身辺から新しい材料を選び、こみあげてくる真心で作らなければならない。

料理は最終的には真心や愛情で完成するんだね。
これは鎌倉時代の禅僧、道元が、

「自分が作った料理を食べてもらえる喜びと感謝の心を忘れずに(喜心)、子を思う親のように(老心)、食べる人の喜ぶ顔を想像しながら料理しよう。こうして励んでいれば、広く澄み切った心(大心)の境地が得られるだろう。」

喜心、老心、大心の3つが、
禅寺の料理係(典座)の心得として大切!
と説いたのと同じだね。※「典座教訓」より

そういえば先日、小石川植物園に向かう途中、
澤蔵司稲荷(たくぞうすいなり)でこんなの見つけた。

澤蔵司稲荷

辻留とどんな関係があるのかな?
ご主人が暇そうだったら聞いてみよう。