廃仏毀釈という名の宗教戦争。奈良・興福寺の荒廃。

日本の美術史を追っていくと、特別大きな事件は、
明治維新後に起きた「神仏分離」と「廃仏毀釈」。

この時、奈良興福寺の僧たちは春日神社の神職にされ、
廃寺同然となった興福寺は荒廃、境内は鹿が遊ぶ奈良公園になる。
現在では国宝の五重塔が250円で売られていたというのは有名な話。
※当時の1円の価値は現在の2万円くらいらしい(参考サイト)

明治政府の血迷った政策が原因なのだろうか?
1868年の政府の通達と事件を順に追ってみると、

  • 3月13日「王政復古の大号令」
  • 3月17日「神祇事務局より諸社へ達」…王政復古の方針は悪い習慣を一掃することにある。各地の神社において僧の姿で神社の儀式を行っている者には、一般人に戻ることを命じた通達
  • 3月28日「神祇官事務局達」…権現・午頭天王などの仏教的な神号の神社は由緒を明らかにして改めること、仏像を御神体にしている神社は御神体を変えることを命じた通達
  • 4月1日…比叡山延暦寺の麓にある日吉山王社へ100人を超す武装した神官が押しかけ、神殿内の仏像・仏具・経巻などを焼き捨てる。これが全国へ広がっていく。
あくまで政府は神道と仏教の分離が目的だったが、
神道と仏教の宗教戦争へ発展してしまった。
といっても仏教側が一方的にやられただけだが…。

江戸幕府が寺請・檀家制度で民の戸籍を管理したことで、
寺院が恩恵を受けた一方で、神社は蚊帳の外へ。
たまったうっぷんが一気に噴火!が廃仏毀釈の真相だろうか?

たが興福寺の場合は事情が若干違ったようで、
司馬遼太郎が「街道を行く」の中でこんな逸話を紹介している。

伝説では、僧侶を辞めて春日神社の神職になった連中か、あるいはその配下の下司僧が、仏像たちの魂抜きをしておいてからたたき割って薪にし、風呂を焚いて「ホトケ風呂だ」といってよろんこだという。

平安時代には桜の樹を守ろうとした僧がいたほどなのに、
これほどの堕落ぶりでは、もはやなすすべなし。

興福寺の場合は僧が自ら寺を捨てて荒廃したが、
神道勢力になすがままに破壊された寺院もまた、
同じような状況から、抵抗する気概もなかったのだろうか。

ふと思えば日本史の教科書では教えてくれないが、
日本は宗教戦争のようなものが何度か起きている。

  • 587年、蘇我氏(仏教派)vs物部氏(神道派)
  • 1536年、天文法華の乱(浄土宗vs日蓮宗)
  • 1868年、廃仏毀釈(仏教vs神道)

このあたりの宗教同士の戦いは歴史家のタブーなのか、
これといった参考図書が見当たらない気がする。。。