「なんとなく」の由来を求めて/西行「山家集」

「なんとなく」って言葉をよく使う気がする。
日本語の曖昧さの象徴的な言葉であり、
論理ではなく直感的に捉える日本的な感性でもある。
いつ頃から使われていた表現なのか?

を使って調べたところ、12世紀頃から増えるみたい。
「なんとなく」を特に使ったのが西行法師(1118~90)。
西行の和歌集「山家集」で見つけた和歌をメモメモ。

何となく のきなつかしき 梅ゆえに
住みけん人の 心をぞ知る

何となく おぼつかなきは 天の原
霞に消えて 帰る雁がね

何となく もの悲しくぞ 見えわたる
鳥羽田の面の 秋の夕暮れ

何となく 住ままほしくぞ 思ほゆる
しかあはれなる 秋の山里

何となく 暮るるしづりの 音までも
雪あはれなる 深草の里

何となく さすがに惜しき 命かな
あり経ば人や 思ひ知るとて

何となく 汲むたびに 澄む心かな
岩井の水に 影映しつつ

春になる 桜の枝は 何となく
花なけれども むつまじきかな

何となく 芹と聞くこそ あはれなれ
摘みけん人の 心知られて

何となく 春になりぬと 聞く日より
心にかかる み吉野の山

何となく 落つる木の葉も 吹く風に
散りゆく方は 知られやはせぬ

何となく 露ぞこぼるる 秋の田に
引板引き鳴らす 大原の里

何となく 都の方を 聞く空は
むつまじくてぞ ながめられける

自然や心境の微妙な変化を「なんとなく」捉えた和歌。
この「なんとなく」の感覚が最近の世の中に足りない。

今の世の中は目標や計画などで近未来を論理的に想定し、
予定通りに進んだかどうかが、成功と失敗の判断基準。
でも思わぬ偶然の積み重ねで未来はできあがるのだから、
こんな考え方はストレスがたまって疲れちゃう。

目標や計画なんて「なんとなく」の作りにとどめておいて、
やってくる偶然に合わせて修正しながら生きていく。
投資家には絶対に必要だから、私はなんとなく身についた。
だから世間のがんじがらめの重い感じが苦手。
もっとテキトーに、もっとゆるく、生きていこうよ!