瞬間を捉える日本美とその功罪

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文化史において日本と海外との決定的な違いは、

日本は目の前の「美」を「」で捉えようとすること。

古池や 蛙飛びこむ 水の音(芭蕉)

中国だったら漢詩で情景を描くことからはじまり、

最後の方はなぜか仙人や龍まで出てくる長文の詩。

西洋の詩であれば、哲学的に熱く語るだろう。

海外の美的感覚は「」で表現されているのだ。

和歌や俳句に限らず、

というように、日本文化の全般にわたって、

日本人が「瞬間」を大切にしてきたように思える。

それと裏腹の関係にあるのか日本はどうも長期計画が苦手。

企業が長期計画といってもせいぜい5年先だったりするし、

街作りも長期的な全体像がないまま開発が進んだりと、

1つ1つの和歌を組み合わせる連歌のような計画の立て方だ。

その背景に何があるかといえば、おそらく自然災害の多さ。

それが遠い将来まで計画を立てる感覚と相反するんだろうな。

その一方で日本には創業100年以上の企業が10万社以上もある。

一貫性のなさが意外と変化への対応力につながっているのかも。

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