遊び上手だった日本人/ホイジンガ「ホモ・ルーデンス」

「ホモ・ルーデンス」とは「遊ぶ人」の意味。
ホイジンガは人間の本質や存在意義を「遊び」に見出し、
文化は遊びのなかに生まれ、遊ばれてこその文化だと説く。
そして世界の遊び表現を紹介する中で日本語にも言及。

注目すべきは、ある『師のもとに』遊ぶ、ある『土地』に遊ぶというような言い方があることで、これは、遊びという意味のラテン語『ルードゥスludus』が学校という意味をも持っていることを思い出させる。・・・日本の美的な茶の湯も『遊ば』れるものである。茶の湯の席では、陶器の茶碗が賞玩され、それを讃える言葉とともに次々と隣席の人の手へと回されていく。」P85

そういえば「道を極める」と「遊ぶ」は近い関係にある。
たとえば仏教用語でも(広辞苑より)、

  • 遊行(ゆぎょう)…僧が修行のため諸国を巡り歩くこと
  • 遊戯(ゆげ)…心にまかせて自在にふるまうこと

なんてことばがあり、
茶席でも「今この時に集中しなさい」って意味合いの

遊戯三昧

って禅語が描かれた掛け軸をかけることもあるのだとか。

また「遊ぶ(アソブ)」の源流は「荒ぶスサブ)」にあり、
仏教的な静けさだけでなく、荒々しさも持ち合わせている。
たとえば昨日紹介した「婆娑羅バサラ」がこの遊び感覚。
また婆娑羅は「傾奇カブキ」でもあり「歌舞伎」の源流だ。

遊びをせんとや生れけむ
戯れせんとや生まれけん
遊ぶ子供の声聞けば
我が身さへこそゆるがるれ

無邪気に遊ぶ子供の声に心動かされるのは、 
私たちが遊ぶために生まれてきたからではないか?
って意味合いの平安末期の流行歌(梁塵秘抄)。

日本人は遊び下手、って言われるようになって久しい。
たぶんそれは自国の文化・伝統を軽んじて、
歌を忘れたカナリヤになってしまっているからでは?
私は日本文化を見つめ直して、思いっきり人生を「遊び」たい!