投資と投機の素因数分解/本日のスープ・まかない編

rennyさんm@さんと進めているリレー連載企画、
「本日のスープ~株式投資をめぐる三重奏~」
直近の記事は私がm@さんのブログへ寄稿した

その番外編としてさらに脱線したかった話をひとつ。
投資家は自分の行為が「投資」か「資産運用」か考えるよりも、
「投資」と「投機」の境界に悩むことの方が多いだろう。
しかし「投機」という言葉の本質を追究すると、

  • 禅宗では真理の世界に参入して道と合一する体験を指し、
  • 英語の"speculation"には「思索・推測」の意味がある

ことから、
言葉の上では「投資」を極めた最終形が「投機」かも。

ところで漢字の成り立ちからはどう読み取れるのだろう。
本日のスープ本編でも紹介したとおり、

  • …羽根飾りの付いた杖(殳)を手にとり邪霊を祓う。
  • …「次」の「貝」。貝は内陸の殷・周王朝では宝物。

ことから、
「投資」とは邪霊を祓うことで次なる宝をもたらすこと
と読み取れる。
では「投機」の「」はどのような意味があるのか。

幾は邪悪なものを祓う力のある糸飾りの付いている戈で、これを用いて悪霊などがひそむのを調べ、問いただすことができるとされた。「しかけ」のある道具を機・機械といい、そのはたらきを機能という。」(白川静「常用字解」

つまり「投機」とは潜んだ邪霊を探し、打ち祓うことだ。
なるほど、やはり投機は「禅」的なイメージを感じる。
心の奥に潜む邪悪なものに打ち勝ち、悟りを開くような。
となると「投資」と「投機」の本質的な関係とは、

  • 内なる悪を打ち祓った上で(投機)、
  • 外の悪を倒し、より良い未来を手に入れる(投資

ということかもしれない。
でも「悪」とは一体何なのか?
とくに金融における善悪の変容はたびたび起こることだし、

私たちは東日本大震災に続くフクシマの原発問題で、
本当の脅威とは悪意ではなく、善意ではじまったことが、
何かの拍子に猛威を振るうことだと痛感した。

そして投資家が考えるべき善悪の境界もむずかしい。。。