和歌の中の富士山/百人一首4「富士の高嶺に…」

富士山の噴火の最古の記録は781年なんだとか(続日本書紀)。

天応元年七月癸亥駿河国言富士山下雨灰灰之所及木葉彫萎

当時の富士山は今の桜島のように常に噴煙を上げていて、
小規模な噴火を繰り返しては、火山灰を降らしていたようだ。
でも火山としての恐ろしいイメージはまだなく、
この頃詠われたのが山部赤人(?~736)の百人一首の和歌。

田子の浦に うち出でてみれば 白妙の
富士の高嶺に 雪は降りつつ

火山としての富士ではなく、景観美が詠われている。
でも905年に完成した「古今和歌集」で詠われる富士は、
すべてが燃える富士の「火」に「恋」を掛けたもの。
貞観大噴火(864~866)を境にイメージが変わったんだね。

人しれぬ 思ひをつねに するがなる
富士の山こそ わが身なりけれ

人知れず恋に燃える自身を富士山になぞらえたり(534)、

君てへば 見まれ見ずまれ 富士の嶺の
めづらしげなく 燃ゆるわが恋

富士のように燃える恋しい人への想い(680)を歌っている。

貞観大噴火による溶岩流はすさまじく、
森林や民家はもちろん、湖をも飲み込んでしまったという。
(※ちなみにこの溶岩の上にできたのが青木ヶ原樹海)
その驚きが都に伝わり、人々の心の中で富士は火の山となった。
その後は溶岩の「火」と噴煙の「煙」の和歌が多く詠まれた。

そして富士山の活動記録を見ると1100~1400年は休止状態。
ちょうどこの期間に編さんされた百人一首では、
景観美としての富士が収録されているのはなんとなく納得。
140228気象庁富士山