いつの時代も「質より数」で評価されるが…

この記事は約2分で読めます。

学術論文はどれだけ引用されたかで評価が決まるんだって。

この仕組みだと論文の「質」が評価されない…との嘆きを聞いて、

そこはツッコミ入れるところじゃないだろうと。。。

Googleの検索結果は被リンク数でランクが上下するというし、

投資における企業評価も美人投票と言われてるから似てるかな。

さらにず~っと昔にも似たような評価の仕組みがあったんだよ。

情報の伝達はもちろん、人の移動も限られていた時代。

各地を旅した歌人が歌を詠み、それを京に持ち帰ることで、

その地のイメージが広がったんじゃないかと思うんだ。

  • 歌人=情報発信源
  • 和歌=今で言うメディアコンテンツ

和歌には「歌枕」って名所を詠み込む枕詞があってね。

もともと名所だったから和歌が詠まれたのではなく、

たくさんの和歌が詠まれることで訪れる歌人が増え、

名所・史跡としての地位が確立されていった
のではと。

もちろんその中心には著名な歌人の名歌があるのだろうけど、

名歌人がどうかの判断は、勅撰和歌集への収録数だったり…

でも数十年の短期間だと「数」で評価されるんだろうけど、

もっと長期間になると、なにか違うものがあるような気がする。

松尾芭蕉の奥の細道への旅は、西行没後500年にあわせて、

最晩年の西行がみちのくへ向かった旅になぞらえてのもの。

時代を超えてここまでさせる何かは「数」じゃないよね。

人間死ぬまでは、幸運な人とは呼んでも幸福な人と申すのは差し控えねばなりません。」(ヘロドトス「歴史」より)

最近よく感じることだけど、人の人生の良し悪しは、

自分が生きているうちには結論が出ないもので、

私自身じゃなくて、死後に誰か他の人が判断するもの。

だから誰かの目に止まる何かを残しておきたいなぁ。

コメント