記憶力クライシスの歴史/文字・グーテンベルク・Google

自ら生み出した技術に対し、人間が時代遅れになっていく。
とくに私たちの記憶力はこれまで2~3,000年の間に、
何度か転換点にさらされ、今まさに3度目の危機にいる。

もちろん今は「Google」の登場による危機だ。
何でもGoogleに聞いてしまえば、手っ取り早く答えが出るから、
物事を覚えようとせず、思考力にも悪影響をおよぼすのでは?
なんて議論をよく耳にしているはず。

そして今から数百年前、グーテンベルクの「活版印刷」術。
写本など人が介在して出版がされた頃は音読していたが、
機械的に印刷するようになって、人々は書物を黙読しはじめた。
聴覚中心から視覚中心の世界への転換に伴い、
音や旋律を記憶する能力が衰えていったと考えられる。

これはマクルーハングーテンベルクの銀河系」での指摘だが、
日本の古典を辿ると、音読から黙読への転換点は、

文学の中心が和歌から随筆に移った頃のように思える。
時期はいつであれ、知性と感性の分断が起きた重要な局面だ。

さらにさかのぼり「文字」の発明こそが記憶力衰えの原点。
プラトンの「パイドロス」に現代に通ずる驚くべき記述がある。

たぐいなき技術の主テウト(文字を生み出した神)よ。技術上の事柄を生み出す力をもった人と、生み出された技術がそれを使う人々にどのような害を与え、どのような益をもたらすかを判別する力をもった人とは、別の者なのだ。

文字こそが記憶と知恵の秘訣」と説く神テウトに、
もう一人の神、タモスが反論をはじめる。

人々がこの文字というものを学ぶと、記憶力の訓練がなおざりにされるため、その人たちの魂の中には、忘れっぽい性質が植えつけられるだろうから。それはほかでもない、彼らは、書いたものを信頼して、ものを思い出すのに、自分以外のものに彫りつけられたしるしによって外から思い出すようになり、自分で自分の力によって内から思い出すことをしないようになるからである。じじつ、あなたが発明したのは、記憶の秘訣ではなくて、想起の秘訣なのだ。

文字にすることで、安心して忘れることができてしまう。
人々から記憶する力、記憶したものを思い出す力を奪うもの。

あなたがこれを学ぶ人たちに与える知恵というのは、知恵の外見であって、真実の知恵ではない。すなわち、彼らはあなたのおかげで、親しく教えを受けなくても物知りになるため、多くの場合ほんとうは何も知らないでいながら、見かけだけはひじょうな博識家であると思われるようになるだろうし、また知者となる代りに知者であるといううぬぼれだけが発達するため、つき合いにくい人間となるだろう。

だから文字から生まれる知恵は真実の知恵ではない
見かけだけの博識家を生むだけではないか、とタモスは諭す。
この一連のタモスの語りの「文字」を「Google」に置き換えると…。
まさに歴史は繰り返す、とはこのことだね。

最後に「記憶力」の大切さについて。
私たちが過去・現在・未来と流れる時間の中で、 
1人の人間として連続していたことを保証するよりどころが「記憶」。
だからある意味「心は記憶に宿っている」と表現できる。
記憶力の衰えは心の衰えに直結するとも言えないだろうか。