万葉集に描かれた食文化(海の幸)

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最近、万葉集を読み始めた。

古今和歌集以降の和歌は月、恋、桜を中心に展開するけど、

万葉集は4,500首近く収録されることもあり、その情景もさまざま。

ここでは当時の食文化(海の幸)に関連しそうな和歌を編集。

あゆ

鵜川立ち 取らさむ鮎の しがはたは われにかき向け 思ひし思はば

すでに万葉の時代には鵜飼い(鵜川)があり、

私のことを覚えてたら鮎を送ってよ、とねだる大伴の家持の歌。

大伴旅人、家持の親子が鮎の和歌をいくつか残してる。

好物だったのかな?

あわび

海処女 潜きとるとふ 忘れ貝 よにも忘れじ 妹がすがたは

伊勢の白水郎の 朝魚夕菜に 潜くとふ あわびの貝の 片思ひにして

海女さん(=海処女、白水郎)はこんな時代からいた。

伊勢・志摩で真珠や鮑が獲られて、都へ貢納されていたんだ。

うなぎ

石麻呂に 吾れもの申す 夏痩せに よしといふものぞ 鰻とり食せ

痩す痩すも 生けらばあらむを 将やはた 鰻を漁ると 河に流れな

夏バテで痩せている友に鰻を食べることを薦め、

無理に河に入って鰻を捕ろうとして流されないようにね、という二首。

「夏バテにうなぎ」はこんな時代から。

でも蒲焼きが発明される江戸時代までは丸焼きだから、

美食というよりも薬の一種っていう認識だったんだろうね。

すずき

荒たへの 藤江の浦に すずき釣る 白水郎とかみらむ 旅ゆくわれを

藤江の浦(兵庫県明石市)は、今でもスズキがよく釣れるんだとか。

たい

醤酢に 蒜つきかてて 鯛願う われにな見せそ 水葱あつもの

酢醤油にニンニク(蒜)をすり下ろしたタレに鯛をつけて食べたい。

日本史上、最初に刺身の記述が登場するのは14世紀後半とされる。

でもこの食べ方って、鯛の刺身のように思えるけど。。。

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