法然、仏教を取捨選択したシンプルの求道者

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枯山水庭園長谷川等伯の「松林図屏風」、千利休の茶室。。。

余分なものを極限まで削ぎ落とし、シンプルを追求する。

そうすることで、限りあるこの世界に無限を演出するのが日本の美学。

こうした試みは日本の歴史上、どこからはじまったのか?

縄文土器から弥生土器のあたり? ちょっと時代が古すぎて微妙。

そんなことを考えていたら、浄土宗の祖、法然にふいに出会った。

法然が唱えた「専修念仏」の思想こそシンプルの極み。

一部の特権階級のものだった、当時の仏教から余分なものを斬り捨て、

南無阿弥陀仏」とさえ唱えれば、誰もが極楽浄土に往生できる。

源平の戦いや相次ぐ天災と「末法」の到来が感じられた時代、

法然のシンプルな思想は民衆に広まり、日本独自の仏教を生み出した。

膨大な経典や数ある修行をたった6文字にまで縮めてしまう。

法然の簡素化の思想は、31文字に世界を映す和歌のようでもあり、

室町以降の文化に現れる「引き算の美学」の先駆けのようにも見える。

そう考えていくと、法然が日本史に与えた影響はあまりに大きい。

そして東日本大震災の昨年は、法然の没後800周年に重なっていた。

今だからこそ触れておきたい歴史上の偉人である。

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