兼好法師の月見/徒然草137段など

便利な時代になった。
徒然草に描かれた兼好法師の「月」観を知りたい!と思えば、
どこの段に書かれているかあっという間に収集できる。

兼好の月への愛は21段の

よろずの事は、月見るにこそ慰むものなれ。

世俗に疲れを感じたら月を見上げよう、なんて一文に現れている。
そして、もっとも有名なのは137段。

花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。雨にむかひて月を恋ひ、垂れ籠めて春のゆくへ知らぬも、なほあはれに情ふかし。

望月の隈なきを、千里の外まで眺めたるよりも、暁近くなりて待ちいでたるが、いと心深う、青みたる樣にて、深き山の杉の梢に見えたる、木の間の影、うちしぐれたるむら雲がくれのほど、またなくあはれなり。

桜も月も目で見た美しさではなく、

すべて、月・花をば、さのみ、目にて見るものかは。春は家を立ち去らでも、月の夜は閨のうちながらも思へるこそ、いと頼もしう、をかしけれ。

心で感じることこそが真の風流であると説く。
そして月見の季節はやはり「中秋の名月」。

秋の月は、限りなくめでたきものなり。いつとても月はかくこそあれとて、思ひ分かざらん人は、無下に心うかるべきことなり。」(212段)

八月十五日、九月十三日は婁宿なり。この宿、清明なる故に、月をもてあそぶに良夜とす。」(239段)

ちなみに月見の習慣はもともとは中国のもので、
日本はじめ、東南アジア各国に伝播したもの。
日本で本格的に月見が始まったのは大覚寺の建立あたりかな。
最後に人生を月の満ち欠けに見立てた、

「亢龍の悔いあり」とかや言ふ事、侍るなり。月、満ちては欠け、物、盛りにしては衰ふ。」(83段)

望月の円なる事は、しばらくも住せず、やがて欠けぬ。」(241段)

「易経」では昇りつめた龍は下るのみ(亢龍の悔いあり)というが、
日本では満ちた月もやがては欠ける、という表現に変わる。
無限の上昇はありえない。 月が静かに真実を照らしている。