言語が違えば、世界も違って見えるわけ

は神々の世界との架け橋。
世界各地の神話にはそんな共通点があるらしい。
日本にも虹が出たところに「市」を立て、交易を行い、
神々を喜ばせなければならない、という慣習があった。

古来より人々の心を捉えてきた虹。
でも「色彩豊かなもの」と捉えられるまでには時間がかかった。

古代ギリシア詩人ホメロスが描いた「イリアス」「オデュッセイア」や
古代インドの宗教詩「ヴェーダ」には色に関する記述がほとんどない
時代はだいぶ後になるけど、日本でも「古事記」の色彩は乏しい。

私たちの色覚は後天的に獲得されたものなのか?
いやそうではなく、色を表現する言語がなかったのだ。
ガイ・ドイッチャー「言語が違えば、世界も違って見えるわけ」は、
色を通じて言語が思考や色覚にどう関わるのかを描いた一冊。
多くの言語は下記の順で色名を獲得していったらしく、

  1. 黒と白
緑と青が最後に来るから、日本の信号は緑か青かはっきりしない?
 
おまけで「虹」と聞いて思い出す名文をひとつ。

六年前のある日、私の胸にほのかな淡い虹がかかって、その虹は鮮やかに色彩の濃さを増してきて、私はいままで一度も、それを見失ったことはございません。夕立の晴れた空にかかる虹は、やがてはかなく消えてしまいますけど、人の胸にかかった虹は、消えないようでございます。」---太宰治「斜陽」