遊びこそ文化の起源/ホイジンガ「ホモ・ルーデンス」

平安時代末期の流行歌を集めた「梁塵秘抄」にこんな歌がある。

遊びをせんとや生れけむ
戯れせんとや生まれけん
遊ぶ子供の声聞けば
我が身さへこそゆるがるれ

解釈はいろいろあるそうだけど、私には
無邪気に遊ぶ子供の声に心動かされるのは、
私たちが遊ぶために生まれてきたからではないか?
と語りかけているように思える。
また18世紀のドイツの詩人、フリードリヒ・フォン・シラーは、

人間は文字通り人間であるときだけ遊んでいるのであって、遊んでいるところでだけ真の人間なのだ。

ともっと踏み込んだ表現をしている。
そして遊びはノーベル賞につながることだってある。

後でノーベル賞をもらうもとになったダイアグラムも何もかも、僕がぐらぐらする皿を見て遊び半分にやりはじめた計算がそもそもの発端だったのである。-「ご冗談でしょう、ファインマンさん」上巻P311

そして「遊び」を学問してしまったのが文化史家・ホイジンガだ。
ホモ・ルーデンス」とは、日本語で「遊ぶ人」の意味。

遊びというものが現にあるということが、宇宙のなかでわれわれ人間が占めている地位の超論理的な性格を、絶えず幾度となく証明する理由になっている。」P21

人間の本質や存在意義を「遊び」に見出し、

人間文化は遊びのなかにおいて、遊びとして発生し、展開してきたのだ。」P12

文化は遊びのなかに生まれ、遊ばれてこその文化だと説く。

遊びは秩序を創っている。いや、遊びは秩序そのものである。」P35
遊びはものを結びつけ、また解き放つのである。」P36
遊びは人間がさまざまな事象の中に認めて言い表すことのできる性質のうち、最も高貴な二つの性質によって充たされている。リズムとハーモニーがそれである。」P36

遊びこそが世界の創造主といわんばかりの主張の連続。
でも、どこからが遊びでどこからが遊びでないのか?
そんなことを考えるのは野暮なんだろう。

遊びの「面白さ」は、どんな分析も、どんな論理的解釈も受け付けない。」P19

ただ時の流れから外れてしまうほど何かに没頭したとき、
そこには「遊び」があり、人生の本質があるに違いない。
そして遊びを極めたものが賢者、ってダーマ神殿は正しい!

コメント

  1. 赤大将 より:

    遊びこそ人間の楽しみであり、純粋に好奇心・探究心の
    結晶そのもの。遊びがないと人生がほんとにつまらなくなる。
    人生は遊んで楽しんだものが成功者です。と思ってる。

  2. まろ@管理人 より:

    「遊び人」を目指すというとバカにされそうだから(笑)、私は「数寄者」を目指します♪

  3. マジかよ より:

    人間は働くために生きている訳じゃない。
    遊ぶために生きているのだ。
    日本人は真面目過ぎるから、意識が欧米より50年遅れてる。