ノルベルト・ボルツ「意味に餓える社会」1、2章より

1997年に書かれたノルベルト・ボルツ「意味に餓える社会」。
ドイツ人のボルツ曰く、ドイツ語の「意味」"Sinn"の語源は、
「旅する」や「進路をとる」という意味の古語に依頼するとのこと。
しかし現代社会では「目指すべき意味」が見失われている。

失われた意味を求めることは実は複雑性の逃避である」(P7)

ボルツの主張はとても重要に思えるけど、この本は今、絶版…
だからいつもより引用大目で内容を紹介してみよう。

複雑だということは、われわれのなじんでいる直線的思考にとって、たいていは複雑すぎるということである。」(P25)

複雑性はわれわれのポストモダン的な運命である。・・・われわれ全員にとっての問題は、単純化することによってしか世界の複雑性に答えられない。」(P27)

たとえば複雑な世界を理解したつもりになれる「統計」による単純化。
ボルツにかかれば、理論の問題を道徳の問題にすり替えとなる。
「黙示録的に語る」ことと「統計的に語る」ことは同レベルであると。
つまり単純化により意味を求めることは、一種の「宗教」と言える。

宗教は、まさに社会生活が偶然に次ぐ偶然によって、もてあそばれるところに意味を作り出す。」(P45)

人々の心は宗教から解放されたことにより自由になった。
だから意味を求めることは現代社会を欲しないことになる。

意味が見つからないという体験は、科学・技術が世界を魔術から解放したことと切っても切れない関係にある」(P53)

意味の欠如として体験されるものは、実は意味の地平が開かれていること、オプションが豊かなことにほかならない。逆説的なことだが、意味が見つからないという喪失感は、文化的な意味がさまざまの形で過剰に提供されていることの結果である。」(P61)

つまり「意味」を求めることは現代人の贅沢病なのだ。

ここでボルツの主張から離れてふと考える。
現代社会の求める「意味」とは「模倣すべき型」ではないかとも思う。
ガブリエル・タルドによれば「社会は模倣から生じている」のだから。
たとえば日本は、中国、西欧、米国に学び追いかけた時期が終わり、
自らが課題先進国(少子高齢化など)として先頭に立ったら大混乱…。