自分が好きで続けていることに理解者など必要ない!
「好き」と同じ読みのことばに「数寄」と書くことばがある。
「数寄というは、人の交はりを好まず、身のしづめるをも愁へず、花の咲き散るをあはれみ、月の出入りを思ふにつけて、常に心を澄まして、世の濁りに染まぬを事とすれば、おのづから生滅のことわりも顕はれ、名利の余執つきぬべし。」
(人との交わりを求めず、落ちぶれようと愁うことなく、花や月に心を寄せ、常に澄んだ心をもって、世俗にとらわれない生き方を「数寄」という。そうすれば世の無常を理解し、名声や利益への執着から解放されるだろう。/鴨長明「発心集」)
「純粋に好きを貫き通す」ことが「数寄者」の心得。
またそれは「孤独と向き合う」ことだと悟らないといけない。
「世に従へば、心、外の塵に奪はれて惑ひやすく、人に交れば、言葉、よその聞きにしたがひて、さながら、心にあらず。…分別みだりに起りて、得失止む時なし。」
(世間に合わせて人と交われば心は乱れる。他者との比較に惑い、損得勘定に心がとらわれてしまう。/兼好法師「徒然草」75段)
孤独を埋めようと、人と群れたり、人に媚びたりすれば、
「純粋に好きを貫き通す」ことなんてできなくなってしまう。
運良く成功に巡り逢うことがあっても、あくまで「人生のオマケ」。
数寄者を目指すなら、名声や利益などは求めてはいけない。
まぁそこまでの徹底的に追求しなくとも、
「なるはなしならぬはなさず成ままにすく数寄者こそすきのすきなれ。」
(できないことにこだわらず、できる範囲で風雅を追求する数寄者こそが、数寄者のなかの数寄者。/千利休)
楽しんで続けられるかたちを見つけることが大切。
ひとりで作る幸せは、きっと心の強さにつながるはず。
心に一点の曇りもない日なんて、ほとんど存在しないもの。
それでも笑顔で生きるには、心に「数寄者」の精神が必要だよ。
コメント
私は世間が憎くて仕方ありませんが、少しでも社会が知的に豊かになってくれたらうれしいです。今の世代がだめでも、せめて将来世代には知的で、穏やかな社会をつくっていってほしい。
そのための手助けができたらなと思って知識を求めています。
だから、好きという純粋な気持ちで英知を求めるまろさんとは少し立場が違うのかもしれません。
私が自分の思いや考えをうまく情報発信できていないからということもあるのでしょうが、賛同者が現れない現状を見て、自分の進んでいる道が間違っているんじゃないかと思わずにはいられなくなります。
私は投資の世界と出会ったおかげで、大変な幸運に恵まれました。
じゃあ残りの人生はこの分野で社会に役立つ研究をすることに捧げよう!!
と仕事辞めてまで大学院へ進みましたが…、この先はご存知かと思います。
そんなわけで、とくに知の追求について、社会を意識することはやめました。
参考になるかは分かりませんが、私は徹底的にやった上で捨てた感じです。
ちなみに今回いただいたコメントから、
オルテガの「大衆の反逆」を紹介する記事を書いたことがなかったなぁと。
これについては、また今度。