うつしの美学/夏目漱石「草枕」

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夏目漱石。

当時の先進国に学ぶべく、文部省の命でイギリスへ留学するが、

英文学研究への違和感から、精神に異常をきたして帰国。

帰国後に「我が輩は猫である」を執筆し、文豪への道を突き進む。

自信満々のイギリスが、癪に障ったせいなのか、

漱石は帰国後、日本の歴史や文化に傾倒したのかもしれない。

私自身の体験が思考を歪ませているのかもしれないが、

草枕」に日本が古来より大切にしてきた美学が見えてくる。

智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。・・・あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。・・・住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、画である。あるは音楽と彫刻である。

太字にした「写す」という部分が極めて重要。

そして「草枕」のラストは、美女の顔に表れた「憐れ(あはれ)」を

主人公が「胸中の絵」に写しとったところで幕を閉じる。

うつしの美学

日本語はどのように成立したか?

中国から渡来した漢字に日本人の発音をうつしたのが起源だ。

和歌とは何か?

心にうつされた美の面影を言の葉にのせたものだ。

その面影は月や桜、叶わぬ恋だったりする。

たとえば西行の歌を2首。

  • 花に染む 心のいかで 残りけむ 捨て果ててきと 思ふ我が身に
  • ゆくえなく 月に心の すみすみて 果てはいかにか ならんとすらん

見立て」の美学。

茶道や華道で、物を本来の姿ではない別の物をうつす方法

これは現代にも通じていて、

  • 今にも泳ぎ出しそうな生魚の活け造りや鮎の塩焼き
  • お寿司系のお弁当に必ず入ってる緑色の「草もどき」

そして「うつし」の「うつ」は「」。

虚空よく物を容る。我らが心に念々のほしきままに来たり浮かぶも、心という物なきにやあらん。」(徒然草235段)

心に様々な思いが気ままに出入りするのは、心に実体がないからか?

兼好法師は私たちの心のうつろいやすさを虚空にたとえて嘆いた。

でも心がうつろいやすいのは、恋や四季といった美の面影を映すから。

長くなったので「うつし」に続く「うつろい」についてはまた今度。

以上「漱石を題材にしたレポートのヒントを」という依頼への回答だよ。

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