リスク管理社会の変遷と本質

「リスク管理」の考え方は経済理論から生まれたもの。
確率・統計によって偶然やリスクを飼いならす。。。
でも21世紀に入った今、破局をもらたすようなリスク、
たとえば環境問題・金融危機・テロに対して無力を露呈した。

そういえばフランク・ナイト(1885-1972)のように

  • リスク…その事象の確率分布を推測できる
  • 不確実性…その事象の確率分布を推測することが不可能

と切り分けた経済学者もいたけど、
次の世代にくるミルトン・フリードマンには受け継がれなかった。
そのまま経済学者たちは実証可能な「予測」を生み出すことが、
経済理論を確立する真の目的
である、と突き進んでいった。

もちろん否定的な見解を示した経済学者もいた。
フリードリヒ・ハイエクノーベル賞受賞スピーチ(1974)は、

"Unlike the position that exists in the physical sciences, in economics and other disciplines that deal with essentially complex phenomena, the aspects of the events to be accounted for about which we can get quantitative data are necessarily limited and may not include the important ones."

経済学においては、統計データを集めて分析したとしても、
自然科学のように法則を見つけられはしない、と説いた
"The Pretence of Knowledge" (見せかけの知識)がテーマ。

よくよく考えてみれば「リスク管理」の考え方は、
そもそも経済理論の「費用対効果」の考え方にどうも合わない。

真のリスク(=ナイトの不確実性)が顕在化したときに、
その影響の範囲を把握できず、被害の補償もできないのだから。
また経済成長を続けなければ衰退せざるをえないリスクを生み、
それに備えるため、さらなるリスク(原発)を抱え込んでしまった。

もうける確実さというものと、損する確実さというものとのあいだにこそ無限があるのである。」-パスカル「パンセ」断章233

経済理論は損得のあいだにある無限の混沌に陥った
ふと他分野に目を移してみたら、リスク管理社会の問題は、
哲学や社会学でも議論の対象になっていることを知った。

人間が自然と社会の中に生きているということ、
そのこと自体がリスクの発端であることを棚に上げ、
リスク管理しようとした人間の無知への批判が見え隠れする。

こう書いていくと悪いことだらけになってしまうけど…。
人間と自然のあいだに君臨する「偶然」を「必然」に変えることは、
西洋の世界観からすれば「神からの解放」だったのだろう。
これを「自由」の追求とみなせば、必ず歩む道だったとも言える。

ちなみに偶然を必然とみなすところには「悲劇」も生じている。
リスク管理社会は「自由と悲劇のあいだ」に存在しているのだ。
ってな感じでリスクと偶然の諸相をいったんまとめてみた。