ハイゼンベルク「部分と全体」

投資好きから未来学を追い求めて挫折したせいなのか、
不確定(ハイゼンベルク)、不完全(ゲーデル)、不可能(アロー)
という言葉を目にすると、どうにも放っておけなくなる。
あらゆる物事は複雑になるにつれ、偶然に支配されるものだから。

さてこの本は「不確定性原理」を打ち立てたハイゼンベルクの自伝。
副題は「私の生涯の偉大な出会いと対話」と付されているとおり、
ハイゼンベルクはとにかく対話の相手に恵まれていた。
アインシュタイン、ボーア、シュレーディンガー、ディラックなどなど…。
細かい業績を知らないが、名前は目にしたことがある物理学者ばかり。
不確定性原理の誕生はアインシュタインとの対話がきっかけのようだ。

でも私が気になったのは対話より、ハイゼンベルクの哲学的な悩み。
一方を確定すると、もう一方がそれに反比例して不確定になる。
世界を観測することの限界を示したハイゼンベルクは、
物理学上の測定を離れて、人間の認識をも追求していたような…

われわれの自然科学で"わかる"という言葉がそもそも何を意味するのか私にははっきりしない。」P48

量子力学の拡張の必要性が、時折問題にされるのは、人間の意識の存在についてです。物理や化学に"意識"の概念が現れないということについては疑いの余地はないだろうし、何かそれらしきものを量子力学からどうやって作ったらよいかも実際よくわからない。しかし生きた有機体までを含めた自然科学の中に、意識は場所を持つべきだ。」P184

粒子のあいまいなふるまいに、どこかに意志はないのか?と探すうちに、
そもそも私たちの認識とは一体なんなのか? 意識はどこにあるのか?
というところまで、この人は考えていたような印象を受けた。

読者の知的レベルにあわせて、様々な読み方ができる名著。
私は物理学や哲学をもっと学んだ後に読み返してみたいな。