はかなし/日本人が人生を発見したことば

日本人が人生の本質を発見したのはいつ頃のことか?
こんな不思議な問いに答えるべく、過去の記事を総動員。
無常、あはれ、はかなし、とことばを軸に追ってみたい。

まず「万葉集」の和歌には神への捧げ物っぽい印象を持っていて、
私の中では「バイキャメラル・マインド二分心」 の名残り歌。
また和歌が本当に日本の心を現すのは「仮名文字」登場以降。
紀貫之が序文を書いた「古今和歌集」あたりから検証が必要。

ここで仏教とともに伝来した「無常」についても触れておこう。
日本で最初の無常観の記録は聖徳太子の「唯仏是真・世間虚仮」。
でも、無常が仏教をうつろい出て、真に人生へ投影されるのは、
平安~鎌倉時代の歌人、西行の登場まで待たなければならない。

貴族の「あはれ」と武士の「あっぱれ」の間を漂流した西行。
そうそう「あはれ」ということばにこそ、人生の本質がありそうだけど、
「あはれ」の来歴は少し妙で、小野小町の和歌(古今集939)

あはれてふ ことこそうたて 世の中を 思ひはなれぬ ほだしなりけれ

心を動かされて「あはれ」と歌を詠まずにはいられない。。。
もともと「あはれ」は、喜怒哀楽すべてを含んだ「!」的な感動詞
源氏物語で多く使われたから、恋のせつなさを愛おしむ心はもちろん、
景色の美しさや情緒深さに感動する心などなど、多様な意味があった。
哀しみを含んだ人生観としての「あはれ」は本来の主題ではない。

人生の本質に迫ったことば、という観点で言えば「はかなし」では?
そして「はかなし」は日本文学の本質である恋心()とともに訪れる。
代表的な一文が「和泉式部日記」の冒頭文。

夢よりもはかなき世の中を嘆きわびつつ明かし暮らすほどに…

はかない夢よりもなおはかない世の中を嘆きながら…
叶わぬ恋ゆえに、男女の恋のはかなさに人生のはかなさを見た。
はかなしの語源「はか」は、漢字をあてれば「計」「測」「図」「量」。
これに「なし」を加えることで、 先の見えない人生を表現した。

この世に「はかなくないものなどない」と認識したことで、
すべてが限りあるこの世界に無限の美を演出しようとする
日本の美意識「引き算の美学」がここからはじまるのだ。

確率・統計偏重によるリスク管理社会の崩壊を目の当たりにし、
これからは「はかなし」の感覚の重要性が立ち上がってくるのでは?
こうした日本的な感覚を現代風に編集し直すことができれば…


おまけ…日本文学の本質は恋愛にあり
平安~江戸時代、日本の古典の主題は恋愛ものばかり。
徒然草は無常が主題と思いきや、叶わぬ恋ゆえの無常だったり。
中国の古典の主題が政治や道徳であることを考えると風変わり。
ちなみに九鬼周造の「いきの構造」 は恋で日本を語ろうとしている?