仙洞御所の一升石は贅沢すぎる?

この記事は約2分で読めます。

1630年に後水尾上皇の御所として完成した京都御所内の仙洞御所

仙洞とは仙人の住処のことで、天皇を退位した上皇や法皇の御所を指す。

御所そのものは焼失し、現在は小堀遠州による庭園が残されているが、
手間のかけ方に驚かされる一角があり、なにやら謎めいている。

この水際に敷き詰められた石だ。

小田原藩主が同じ形の丸石を集めるために、
条件を満たす石を拾ってきた者には、石一個あたり米一升を与えたという。
そして集めた石の形状を吟味した上で、真綿にくるんで京都へ運ばせた。

こんな逸話から「一升石」と呼ばれているのだとか。

ただ小田原藩は1623~32年の間、改易・転封などで藩主不在。
しかも後水尾上皇は江戸幕府と対立の末に、

葦原よ しげらばしげれ おのがまま
とても道ある 世とは思はず

という幕府への批判を込めた和歌を残して天皇の座を降りた人物。

幕府の協力なしにこんな事業の実現は難しそうだが?

不思議に思って調べてみると、仙洞御所に一升石が敷かれたのは1817年
光格天皇が譲位し、上皇として仙洞御所へ移る際に、
京都所司代の職にあった小田原藩主の大久保忠真が手配したものらしい。

ちなみに現在の天皇が退位するとこの光格天皇以来の譲位となる。

もう少し掘り下げると、
岩波講座 日本経済の歴史 第1巻」にP291掲載の
非熟練労働者の米換算賃金率と1人あたりの農産物需要の表によると、

  • 日当…1.75升
  • 1人あたりの年間需要量…1.76石(1石=100升)

さらに石は約11万個あるというから、

  • 必要な米の量は1,100石
  • 当時の小田原藩は4万石

驚くほど法外な値段で石を集めたというわけでもないから、
金銭的な面からも本当にあった話と考えてよさそうだ。

コメント